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こんにちは、しんや です。
僕のプロフィールサイトです。
この記事を読むとわかること
なんてことのない決断を大切にすれば、凡人でも望む人生にジワジワ近づけますし、あなた自身の幸せの作り方ということも得られます。
人生に対して何かモヤモヤして満足していない人の背中を押せたら良いな、と書いてみました。
・何となく過ごしている人
・「これで良いの?」の声がする人
きっと何か得られる瞬間があるのに見過ごしています。
その瞬間を掴み、あなたの心の思うままに行動してみてください。
人生に彩りを与えてくれると思います。
現在の僕になることができたのは、心の声を拾ったから
本業:学習塾人事、社員育成
副業:ブログ、他社で家庭教師
副業収入でお金を増やす投資をしています。
本業をめっちゃ頑張ってました。
慢性胃炎・片頭痛を患うも会社は助けてくれず。
そんな中、コロナ禍で自身の働き方が変わりました。
お世話になった会社なので、ホワイト化に協力し実現。
その後、心の声が聞こえてきました
「このまま会社に骨を埋めていいのだろうか」と心の声がよぎりました。
さらに「妻とよりよい終活をしたいなぁ。」と考える機会も心の中で増えました。
2021年3月時
ネットとは縁遠い暮らし
スマホ稼働時間10分未満
携帯充電、1週間しなくてOK
それじゃぁ、せっかくあるスマホをフル活用してみよう。
最後に登場する息子の発案で、Twitter(X)を始めました。
Twitter(X)からブログと出会い、副業へ
本業と副業(ブログ運営)の両輪生活が始まりました。
それが今度は、その収入で「妻といつでもハワイに行く」という目標に。
1995年にハワイ留学を経験し、その生活が本当によかった。
戻りたい気持ちが増幅していきました。
2022年からは、微々たる収益が叶うようになり、現在も精進中。
現在、こんなことをしている自分が信じられないです。
何のしがらみのない中で生き、好きな時に好きなだけ、妻とハワイを行き来できる暮らしを実現する。
そんなを夢見るようになってから行動するようになりました。
最終目標を持つと人間って自然と行動していくんですよね。
あなたには、そんな大きな目標を持っていますか?
高卒からの3年間は負け人生 | そこから聞こえてきた心の声
高卒からの3年間は、本当につまらなかったです。
世の中にただ流されていたからです。
でも、「みんな一緒」がどこか楽な自分がいたのも事実。
少し時代を遡ります。
高学歴社会が勝ち組とされていた昭和・平成前半時代。
なんとなくの大学受験勉強
当然ながら結果は全敗(笑)
受験校2桁なんてザラで、受験料・学習費を計算すると100万を下ることはありませんでした。
受験して終身雇用の会社員になって家庭を持って、、、という何となくの将来だけを想像しながら生きてきました。
もちろん上手くいく道理などありません。
受験戦争に負け、浪人するも失敗
その後はアルバイト生活を2年
(周囲の仲間は大学生活を謳歌)
いまでこそフリーターなんていうステータスがありますが、当時のフリーターなんて最悪そのもの。
肩身の狭さは二度と経験したくない思いです。
そんな自己嫌悪最盛期のころ
・「このままで良いの?」
・「本当は何をしたいの?」
と自問自答する心の声が増えてきました。
「自分は何をしたかったの?」という心の声
本当にしたいことが見つかると、恐れるものなどないんです。
小学生時代に帰国子女というクラスがありました。
僕は彼らとよく遊んでいました。
ときおり飛び交う英会話。
到底理解もできませんでした。
英語を話せるって格好いいなぁっていう気持ち、海外への憧れは強かったです。
留学したかった原体験はここにありました。
【GOM Mix】簡単に使える無料動画編集ソフトフリーター時代は嫌でも自分と向き合う時期から…
自己啓発に関する本をよく読んでいました。
ある日、なんとなく立ち寄った本屋に行った時のこと。
ハワイで勉強できるという関西外国語大学ハワイカレッジ(現在廃校)を発見。
僕の未来像が勝手に一変しました。
そんな生き方があったんだ!
それならハワイに行きたい!
暗いトンネル(フリーター)から1点の白い光が現れ、一気に世界が広がっていった感覚です。
親の許可も得ず、即座にその場で申し込み、いざ受験→合格→親に事後報告…といった具合でして…。
親を説得するのに1か月はかかりました。
でも必死に説得したのは、自分で腹をくくっていたからかなと。
あの感覚は今でも残っています。
自分で息苦しくしていただけ
自分で勝手に創った「身動きが取れない鳥かご」に詰め込まれた人生。
自分がどうしたいのかという方向性が見つかってからは、鳥かごから急に飛び出た感じ。
自己決定の生き方変化
留学後毎日は、自己決定の連続
留学中はしんどい体験が多かったです。
でも幸せをものすごく感じられる生き方でした。
自分自身で決断&選択した生き方は、常に決断を迫られる生き方です。
でもこれが本当の生き方だったのです。
僕の求める生き方に出逢うことができました。
心の声から掴んだ「幸せを考える切っ掛け」になったハワイ留学
『真の人生の始まりは、自分一人で決断した時!』
生まれて初めての、誰にも相談しない自己決断が留学でありました。
親の考える幸せは、「学歴ありき」でした。
僕も何の疑いもなく親の考えに染まっていたんですね。
偶然、国立の小中を楽しく過ごし、非常に恵まれた環境に居ました。
地元の公立高校に進学してからは、平凡な暮らしに。
友人・部活メンバーに恵まれ、本当に楽しい日々を過ごしていました。
留学熱もいつしかどこへやら。
大学受験を迎えてからその後は、既にお話した通りです。
1995年の新年
お金の工面に苦労しました。
生き方自体が変わった瞬間の始まりでした。
でも即行動できたのは自分でも驚いています。
これまでの貯えと、留学までは1日12時間バイトを5カ月休みなし。
目的があれば人間やれるもんです。若かったこともでかい!
留学まで親に養ってくれていたからこそ叶ったようなものです。
途中、阪神淡路大震災に見舞われ、留学を諦めかけました。
しかい親が「心配するな」と背中を押してくれたことから、単身ハワイ留学がついに実現。親に頭が上がりません。
1995年4月~1997年1月
ぶちあたった壁(困難)が沢山自分に降りかかってきました。
- 英会話ができない喪失感
- 神経質で潔癖症だった自分
- 劣等感の塊
- 貧乏学生
辛かったです。
でも本当に楽しかった!!(矛盾してますが事実)
留学して本当に良かったこと
・ハワイで出会えた友人
・ホストファミリー
・潔癖症と神経質改善
・「まぁ、いっかぁ~」思考
勉強は大変でした。
それよりも僕にとっては、人格形成を基礎から叩き直しをしてくれた時期でした。
ここでも心の声に向き合い、直面した問題に即向き合い続けたのが良かったです。
留学の決断がなければ、今頃の人生、、、自分にただ負け続けていたと思います。
考えただけでも恐ろしい…。
妻にも出会えなかったし、2人の子どもにさえ出会えませんでしたから。
ミネソタ州立ベミジ大学でさらに自分と向き合う連続の日
ハワイ生活後の1997年9月からは、今度はなんとアメリカ辺境の田舎町、ミネソタ州立ベミジ大学3年編入。
この相談を親にしたときは、「自分で決めたんだったら好きにしなさい」と快諾。
ハワイで見せた姿勢を認めてくれたのかなぁって思います。
きっと僕が活き活きしてたからなんだと思います。
一時帰国から7カ月は再び1日12時間バイト尽くしで2年間の学費を稼ぐために、とにかく鬼のように働きました。
目標が明確にあるのは最強
7カ月で200万弱稼げたのはビビりました。
全然苦痛でもなかったです。
当時の円高にも助けられたのはでかかったです。
幸運な自分だなぁって思える感覚も身につけましたね。
強くなれるんです、人間って…。
とにかく田舎町ベミジ
自然豊かな田舎町で、ミシシッピ川の源流があり、冬はマイナス30度になる極寒地!!
クリスマスの日にタイタニックの映画を観た帰りの日に経験し、オーロラまで観られました。
SNSが普及していたら、絶対にインスタに載せていただろうなぁ。
人口1.5万人で日本人も少ない大学でした。
(日本語依存をなくしたかったので、田舎大学を選びました。)
この選択が自分を更に強く、自己肯定の礎を作ってくれた期間でありました。
反骨心を形成してくれた大学生活
まず思い出されるのは、田舎町の住民に随分疎外されたこと。
あっ、差別を受けたわけではないです。≪半分被害妄想( ´艸`)≫
ハワイで約2年英語の勉強もしていたのに、それでも英語が通じなかったことで馬鹿にされてました(笑)。
グループワークをする際は、地元の白人学生から避けられてました。
自分から「入れてくれ」の一言を伝えるのが本当に辛かったです。むしろ怖かった。
「お前と一緒にグループワークしたら成績下がるから…」ということで逃げられていた感じです。
中には良くしてくれた人も居ますよ。
(誤解しないでください、自分が弱かっただけです。)
反骨心:ペーパーテストだけは絶対に負けてたまるか!
何度も徹夜をしてテストにおいては何度もクラス1番に。その甲斐あって地元の授業料金(奨学金)獲得!経済的にかなり楽できました。
教授にも僕の境遇をとても理解してくれていたので、メンタル的に救われていました。
とにかく貧乏学生だったので、奨学金についてはとにかく必死、ひっし、ヒッシ!
かなり強くなれました。
感謝するという本当の意味
周囲に感謝する本当の意味を経験できたのもこの留学だったのだと思います。
一言、周囲のおかげです。
お陰様で、、、というのは、周りの支えがあってこそ成り立ちます。
単身で留学したって偉そうなことを言っていますが、親であり友人であり、僕のことを大切にしてくれた人のおかげです。
それを独りでやりきっただなんて口が裂けても言えません。
日本の大学生だと経験できないくらい、勉強したと言い切れます。
四六時中、勉強できることってもうないくらい。
大学卒業後はハワイへリターン!
2年以内で編入した大学を無事に卒業することができました。
1999年5月、その後、即ハワイへ!迷いなくハワイへ。
当時は米国大学卒業すれば、1年間米国内で働くビザを発給してくれてました。
大学の専攻がスポーツマネージメント(アクアティックスペシャリスト)だったことが決定打です。
ハワイ留学中、アクア系スポーツが身近に沢山あったことも大きく、ハワイ以外にないと即決でした。
とにかく多様性に満ちた世界です、ハワイは!
だから多くの人に愛される地域なんだと思います。
~2000年10月
とにかく働きましたし、よく遊びました。
4つの仕事を掛け持ちながらの生活、この1年は本当によく働いていましたが、本当に楽しかったぁ。
- SeaWalker
- ジェットスキー
- スクーバダイビング
- ネットカフェ
ネットカフェをレジ閉めした(夜中12時)その足で、24時間フィットネスに行ったり、働き通しのあとだったのにそのままクラブへ行ってオールしたり…。
1年のみの就労だったので、その後のことは常に考えなくてはいけませんでしたが、全身楽しめということを言い聞かせて暮らしていました。
その後もアメリカに残るなら、働いているところで本採用してもらわないといけなかったのですが、当時は本当に難しく叶いませんでした。
それ以外の手段では、大学院に行く選択しかなかったのです。
勉強かぁ。。。というのが本音でした。
2000年10月~2005年8月
1年ハワイで働き尽くしていく中、留学して6年目を迎えたころ、「日本に帰っても良いかな」と初めて思うようになり帰国を決意。
これも自分の決断です。
そしてスポーツインストラクター業界へ(2つの大手企業:第2位のSさん、第3位のRさん)
社員インストラクターを選択しました。
ある程度保障された環境でした。
でも離職率は半端なく多かったです。
使い捨て状態でした、当時の業界は。
しがらみというか妬みというか、足の引っ張り合いやらで、社員への教育は高くなかった気がします。
フリーインストラクターさんともなれば、客の奪い合いやら客との付き合いで、相当ブラックだった印象です。
現場で働くことが好きだった僕は、段々と仕事が経営にシフトする流れに。
そのことを快く思わなかったために、転職を考えるようになりました。
他業種への転職を決意しました。
2005年9月~現在
英語・子ども・指導(育成)が共通項ということで思い切って学習塾に転職。
自分でも驚く位、我武者羅にめちゃくちゃ働きました。
必死で働けるようになっていたのは、間違いなく留学で培った経験があったからこそです。
少々シンドイ仕事なんて終わってみれば大したことが無かったし、何よりも生徒さん達と過ごせることが楽しいですね。
子ども達の成長を見られるのは何事も代えがたい財産でした。
そのお陰もあって自分の子育てに役立っています。
学習塾運営って大変:指導することじゃない
大切なお子様を預かるだけでなく、学習してもらうための顧客教育も必要だということ。
相手がお子さんということもあり、叱ることもしばしば。(叱るって辛いです。嫌われることもあるし。)
そのため叱った翌日はだいたい体調不良を起こし大変です。
そんな経験を繰り返しているうちに、いまでは叱るエネルギーを別に置換して対応できるようになってきました。
くわえて多くのサポートと自己実現に向け、試行錯誤・創意工夫をかさね…。
学習塾運営ノウハウがようやくハッキリしました。(塾のコンサルまでできるように!!)
ただこの運営が、永続的に出来たとしても、あとは老いるばかり。
今後何を残せるのだろうと、2019年ころから考え、ハワイにも帰りたいなぁって思うことが増えてきました。
これからの新しいビジネス(本業と副業)
そして今に至っております。
本業への恩返しとして、後世の育成をメインに頑張っています。
ところが、僕の力不足もあり現有社員が中々育たない…。
教育って本当に難しいです。
人を変えることはできません。
なので自分が変わっていくしかない。
どこまで時間を要するか分かりませんが、のんびりもしてられません。
自分で決めた期限まで頑張ってみようと、只今ばく進しております。
知っておいて欲しいこと
会社はあなたを守ってくれません。
だからこそ、会社への恩もほどほどに、自分のやりたいことにも目を向けるようにしてください。
僕がそのように考えられるようになったのは、実は息子への子育てに悩んでいたことが切っ掛けでした。
息子のことで妻と困り果てていた時期があり、結果として息子のサインに気づいてあげられていなかった僕たちが真因でした。
なので、息子への接し方を変えました。
その過程で、息子発案のメダカ飼育で始めたSNSが切っ掛けで、ネットビジネスという存在を知り、その中から更にTwitterとブログに出逢いました。
そして今、、、お話した通りです。副業までするようになりました。
あとは副業をイメージ通りにしていくための修行です。
それが叶えば、、、ハワイUターンできるかも…と、ハワイライフに向けた活動をしています。
あなたは自分の人生を自分の意志で選択していますか?
今の暮らしに満足していますか?
その答えを出したいなら、どうか何事も自分で決断する暮らしをしてください。
決断する数が増えるたびに、ハラハラします。
どうか立ち止まらずに進む選択をしてください。
すると、なりたい自分に近づくようになります。
今が一番若いです。
どうかクヨクヨせずに、心の声に耳を傾け、これだと思ったらすぐに行動してください。
次の決断が待ってくれています。
その積み重ねが、あなたの人生を豊かに幸せにしてくれること間違いなしです。
少しでもあなたの心を豊かにしていきたいなら、どうか僕の生き方を糧に進んでみてください。
少しでもあなたの背中を押すことができていれば幸いです。
これで僕のプロフィールを終わります。
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